輸入ワインコーディネーターへの歩み | ||
1973年 | ● | 群馬県桐生市の酒屋「かない屋」の娘として生まれる。 |
1992年 | ● | 美術大学を目指して浪人中に故松崎寛氏に師事。フランスの国立美術大学を目指して、アエネフレンセ に通い、フランス語を学ぶ。 |
1993年 | ● | 9月、美術学校受験に備え、語学学校に通うべく渡仏。ボーヌでクルティエ(ワインの生産者をネゴシアンやインポーターに紹介する仕事)をする夫婦にホームステイ。以降、生活拠点はブルゴーニュのボーヌ。ブルゴーニュのトップドメーヌ、ドメーヌ コントルマンの収穫に参加。初めてセラーでワイン造りに参加して衝撃を受ける。ブルゴーニュに大学附属の語学学校(C.I.E.F)に入学。フランス各地のビストロ、レストラン、ブーランジュリー、パティスリーを訪れる。ワインの生産者めぐりも始める。 |
1996年 | ● | ワイの道へ進むことを決意して、ワインの勉強を始める。5月 フランス語をマスターするため、ニースの隣町ヴィルフランシュ・スール・メールにある私立の語学学校アンスティデュッドゥ・ド・ラ・ラング・フランセーズ入学。 |
1997年7 | ● | 8月 ボーヌ国立農業専門学校(C.F.P.P.A)の<ワイン造り・知識及びマーケティング習得コース>に入学(98年7月に終了) 9月 ドメーヌ・コント・アルマンのパスカル・マルシャン氏のもとで研修。この頃から日本にワイン御紹介を始める。 |
1998年 | ● | 9月専 ボーヌ国立農業門学校<醸造責任者及び経営者取得コース>入学(2004年12月に修業、05年ディプロム取得。) ムルソー村のドメーヌ アルノー・アントで研修。以降、毎年醸造チームに参加し、ワイン造りを学ぶ。 |
1999年 | ● | (株)かないや入社(当時25歳)。フランスのワイン生産者を日本に紹介する仕事を本格的に始める。 |
2002年 | ● | 3月 「すばらしきヴィニュロンたち」(モデラート刊)出版 |
2003年 | ● | 1月 マコンにて「シュヴァリエ・ド・ヴィニュロン・ド・サンヴァンサン」授章。「マコンコンクール」で審査員に。 6月 「世界カーヴィストコンクール」で日本人初、女性初のファイナリストに選ばれる。5位入賞。 ランスにて「シャンパーニュ・ダム・シュヴァリエ」授章 |
2004年 | ● | 3月 (有)ピュイドールを立ち上げる。 10月 「ブルゴーニュ若手生産者協会」審査員に登録される。 12月 日本に帰国。日本を行き来する生活に。 |
2005年 | ● | 9月 自分のワインを初めて醸造 |
2007年 | ● | 5月 「オート・コート・ド・ボーヌ キュヴェ・麻」初リリース |
料理会やグルメの方の読者も多い料理通信などの本にも取材されることも多くなってきたマキコレワイン。
勉強会などや海外研修でご一緒する度にその真実の知識に驚かされます。
彼女の見つけたワインは、彼女自身がフランス中を歩き周って、訪ね歩いて探し当てた人たちです。
我武者羅に自分のワイン造りを目指す彼らのワインには絶対の自信を持っています。
評価本や紹介には頼らず、産地ごとに生産者たちのワインはほぼすべて、誰も行かないようなアペラシオンも含めて自ら試飲。
フランスのほとんどのエリアを制覇。
他のインポーターや紹介者との大きな違いと自負しているのは、扱うすべての生産者について、自分の目で畑や蔵の仕事を見て
自分の舌で味わって選んでいるということ。
また、そうして選んだワインを3ヶ月、6ヶ月、9ヶ月、1年と様々な段階でチェックしている。こうした努力で、醸造後のワインが
どういう経過で熟成していくのか見受けるようになった。
☆マキコレワインはこだわりをもってつくられていて、現地の常識では考えられないほどの仕事をしていますので、一般的な
アペラシオンの比較では決して安い部類ではありませんが、その仕事量や味わいはアペラシオンの常識を遥かに越えており
そういう味だけの比較ではもの凄いパフォーマンスを示しています。味本位、格付けにあまり興味のない関西では若手のソムリエ
さんを中心に支持の輪が広がっています。